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時間。

今行ってる会社の社長は毎朝早く来て朝礼で色んな話しをする。その下の部長も話しをする。何と言うか"皆で頑張ろう"みたいな話し。単純だけどその気にさせます。自分にはかなり新鮮で、それが社員に浸透しているからか、「時間」に対して心配することがない。時間の無駄がどれだけ勿体ないかということが意識的にあるようで自分がやらなければならないことは自分でやり、それ以外はどんどん人に頼みます。それをお互いがやっている(勿論仕切る人がいますが)ので皆が皆で助け合っている感じがすごくあります。

自分がこの会社に入る面接で「すごく忙しいと思いますが、耐えられますか?」という質問を貰った。「どれくらい忙しいのか想像することは難しいですが、ある程度のことは経験してきましたので私が思う忙しさを上回るかどうかによります」みたいなことを答えた。初日から一人前に扱ってくれて手分けしても残業が発生するので、これは"忙しい"ということなんですが、明らかに仕事ははかどっているんです。日々仕事に進捗があるということを感じるには"どれだけの時間でどれだけ仕事をこなしたか"ということを常にチェックする必要があります。そしてその進捗を誰かが把握してくれていることが更に充実度を高めます。

時間にルーズなのは許せない、ライバルに負けているのは許せないと社長は言う。そんなことは自分もそう思うし、誰もが思って欲しいと思う。それは単純に仕事ではそう思うべきという概念があるから。自分はこれまで打合せ時間に遅刻し客に言い訳をする社長、大きな仕事が"とれそう"というだけで自慢する社長、昔はスゴかったといつまでもいう社長、必ず最後に遅刻してやっと登場する社長、意思統一の方向性を打ち出せない社長、誰かがヘマをすると皆にネタとして使う社長、教育を主張するが教育が出来ない社長、得意先の人に聞いた話しを自分が考えたように話す社長、ばつが悪くなると姿を現さない社長・・・と時間を大切にしない社長を散々見てきた。今度ばかりは違うように思う。むしろ間逆か。ニコニコしながら声を掛けてくれる「頑張って」と。『そんなルーズな社長なんているのかよ』と思っている方はおそらく恵まれているのかもしれませんね。
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効率と無駄(2)。

本来の目的は何かを考えるとそれ以外の必要の無いことは全て無駄と言えます。それはそう"必要の無いこと"と釘を刺していますから。最近ではどの世代であろうが"いかに効率良くこなせるか"を求めていると思います。自分も同じです。"効率"のみを追求した場合に残るのは、"目的に対する答え"や"結果的な状態"のみとなります。それが手に入るなら過程も必要なければ会話も必要ない、そのサイクルに慣れるとインターネット上の掲示板で「大学の宿題です。この答えが分かりますか?」と質問したり、デキる人がやった効率ばかりを真似ようとしたりする。しかしこういったことは大抵はスグに失敗するか、いつか失敗する。なぜなら"効率"とは自分の身の丈以上の成果を見込めないと思うからです。
"効率とは何か?"を考え込むとおのずと分かってくるのかもしれませんが、前回の最初で言った『"効率"がもっとも実感できるのは時間が省けた時だと思うんです』という考え方は実のところおかしいと言えます。時間が省けたことに一喜一憂していることは裏をかえせば『効率が出せるか分からないケド・・』とも受け取れます。それでも繰り返し自分が経験することにより『こうすることが一番効率がいい』となれば、その時初めて理解したといえるでしょう。一番の解を見つけるのには経験による無駄が発生します。何が効率が良いかは人それぞれです。効率が良いと思ってやっていたことが誰かのアドバイスにより改善された場合、今までのことが無駄かと言えばそうじゃない・・。効率は頭が良い方も含めて、どれだけ無駄をしているかに尽きると思います。短期間でも誰よりも多くの無駄をとことんやることによって、やればやるほど、どのような状況にも対処出来るようになるのは間違いないでしょう?分かり易い例なんて沢山ありますが、何だってそうです。経験すればするほど効率良くなっていく。答えばかりを求めていても効率は一定を超えたりなんかしません。効率は無駄の連続です。
自分は"ついでに"が"効率が良い"と変換しないようにしなければいけません。"ついでに"というのは"効率"と全く別物です。"ついでに"と考えるのはある時には目的に対する"逃げ(言い訳)"になったり、目的を見失う原因となるものだと言えるかもしれません。
それでも「○○さん、オレ今からコンビニ行くけど、何かいる?」と言うのは単に"ついで"であって、優しさであり、人間関係であって、それ以上でも以下でもないのでしょう。・・(続く)
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効率と無駄(1)。

ハラハラドキドキ。おそらくダメな人間かそうでないかの議論になると思うのですが、私は何故か"効率"を求めたがるんです。"効率"がもっとも実感できるのは時間が省けた時だと思うんです。同じ仕事をするにしても短い方がいいし、同時に二つのことを済ませられるならそうした方がいいと思うんです。ここで『んーそうは思わんな』と感じた人はきっと人間的にすばらしいと思える方か、自分のように日頃『何か違うなー』と思い続けている人でしょう。

自分は同時に二つのことをすることを脳内的に"ついでに"と考えています(しまいます)。この"ついでに"と思ってやることを"効率が良い"と更に脳内で変換されます。変な例えで「○○さん、オレ今からコンビニ行くけど、何かいる?」と聞くことが"ついでに"と思って口にしている場合、自分は『その方が効率がいいだろう』と考えています。しかしこういったことは現実には全てにおいて"効率が悪い"のかもしれません。この場合、黙ってコンビニへ行き、自分が欲しいものを買い、コンビニ袋をぶらさげて黙って席に付き、自分のことをするのがもっとも効率が良いと言えなくもないからです。なぜかって、自分がコンビニへ行く前に他の人が黙って行ってるかもしれないし、聞かれた場合でも「大丈夫ですよ」「行ってきていいですよ」などの返答だったり、コンビニ袋をぶら下げているのを見てはじめて「コンビニ、オレも行ってこよ~っと」となったりと自分の"ついでに"が回りとシンクロすることが難しかったり、逆に黙って行ったことで「え~行くなら行くって言えよ~頼もうと思ったのに~」と誰かが言ったとしても黙って行ったことが悪い訳じゃないからです。言ってしまえば、単なる優しさと"ついでに"は紙一重です。"ついでに"と"効率"は全然違います。優しさを奉仕とした場合、それを向けた先が他人だろうが自分だろうが、無駄になり得ます。自分に対する優しさは文字通り、"甘え"だったり"自己満足"でしかありません。他人に向けた優しさがホンモノでも相手にとって"有っても無くても良いもの"ならその優しさは無駄と考えられます。

何を言っているのか全然分からないかもしれませんが、もし"無駄"の2文字にとらわれて上記に書いたことに対して怒りだったり、やるせない(お前悲しいな的な)気持ちになったのであればアナタはそういった優しさを持っているのではないでしょうか。一方で"無駄"と言われるそのものが本当に"無駄"かどうかを考えると全てにおいて"無駄"じゃない理由を作れます。それが"無駄は無駄ではない"と言える理由です。他人や自分に向ける無駄をどう解釈するかで人は元気にも無気力にもなります。優しさが無駄とはここで一例として書いただけに過ぎません。人は生きるうえで多くの無駄をしています。それでいいのですと言い切れはしませんが、本当に価値あることの"ついでに"多くの無駄を行い、多くの無駄があるからこそ見えてくるものがあります。と書けば『回りくどいな~分かってるよ、無駄は経験だから意味があると言いたいんだろ?』と・・(続く)
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大分の諸事情。

教員採用汚職にちなんで・・・
大分というより"地方は"という感じだと個人的には思うのですが、今も変わらず団塊世代の親達は"公務員"という職業に就けばとにかく安泰だと思っている風潮があると思います。ごく一部の例外を除いて"税金"という収入で労働することは、倒産の文字に対する不安がないからでしょう。今で言えば燃料が高騰すれば機械や車を動かせなかったり、商品の値上げをせず他で工面したり、畑を耕せなかったり、漁に出られなかったり・・そんなことを気にする必要がありません。あくまでも"地方"の職業別人口比率に対する不安度合いを考えてみた場合ですが。だからこそ今回の汚職事件のような構図が成り立ってくるんだと思います。これは教員という職業だけではなく実際はどの公務員職にもあります(・・事例を知っていても詳細は語れませんが)。公務員職に限ったことじゃないですね。どの企業だってあります。いわゆる"コネを使う"ことを言っています。ええ"コネクション"のことです。
私が知らないだけかもしれませんが、私は公務員職以外で金を払ってでも入社した人を知りません。大分に限って言えば確かに"公務員はエラい"という価値観が根強いところです。だからこそ公務員になればエラそうに振る舞い、親は子を公務員にする為にはお金を払い、土下座してでも入れようとする。そうすれば実際に入れるんだから相互の気持ちがどんなものか想像出来てしまうでしょう?想像出来てしまうくらいに公務員なんてその程度でそういった連中が巡り巡って同じ繰り返しをしていくのでしょう。
もう大分の先生はダメですね。ウワサでは"イイ先生"と言われているような方でもホントは試験に落ちていたらどうでしょう?今は子供の為にしっかりやっているからいいかって?試験の点数水増しにより合格し、合格していた人でも減点により落ちた人もいるっていうのに『もういいじゃないか』って?大分は"公務員になったもの勝ち"みたいなところがありますから、このような状態でも辞退するような人はいないでしょうね。個人が潤えばいいって感じですから。基本的に企業の人間は企業が大きくなる為に努力をしますが、役所等の人間にはそれがないのではないでしょうか。よって、どうすれば皆が潤うのか、よくなるのか、平等になるのか、その為の利益の確保・改善の仕方を考える頭を持っていないような気になります。現に企業よりヘッドハンティングして経営の観念を取り入れなければ改善しないような話しはよく聞きます。それほどにその程度だと感じざるを得ません。やるべきことをやればよい公務員と同年代の企業戦士を比べれば比較にならないことの方が多いと感じます。一般市民と同じように休み、残業が発生することに文句をいい、話しをすれば世の中を知らなさ過ぎることに『へー公務員ってそんなので通用するのかー』と思ったりする。公務員の方達はもう一度考え直してみると良いと思います。アナタはなぜソコで働いているのかを。何の為に働いているのかを。

"公務員"という職業に就けばとにかく安泰だと思えることに否定はしませんが、エラそうにする前に遜(へりくだ)って物事を考えてみてはどうでしょう。おそらく公務員職で括(くく)ってもよいと個人的には思うくらい大分の公務員は人間として色んな意味で恥さらしだ。
※採点の改ざんが行われないようにチェック体制を取りました。色んなチェック方法がTVで流れていましたが全国へアピールすることを頑張っているだけです。なぜって、そのようなチェック体制を見れば見るほど『そんなこともやっていなかったのね』と思うばかりで、バレたから実施するという事実だけしか頭に残らないからです。ホントに今更なチェック方法&どこかの県のパクリではなく先生らしく斬新且つ頭の良いところを見せて欲しかったなということで思いっきりA-Zですがおしまい。
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来るなら来い。

最初に勝手な個人的解釈と言っておきます。オファー話しです。『来るなら来い』。何ともまぁ力強い言葉ではないですか。嬉しいですね、こういう言葉を頂けると。『自分を必要としてくれている』と。・・・思うでしょうか?ちょっと私は考えてしまうんですよ。少なくともここ2年でそう考えるようになりました。と言えばスグ察することが出来ると思いますが、『来るなら来い』というのは、ちょっと言い方を悪くすれば『来たければ来れば?』と同等のような気がするのです。なぜなら私のスキルがどの程度なのかを把握していても、いなくても私が必要なら『来い』だし、必要なければ『いらない』だと思うのです。その中間の「分からない」なら『話しを聞こう』ですし。

つまり誘う側が『よく分からないけど、まぁ悪くならんだろうし、いれとくか』という気持ちは、何も求めていないのと同じに感じるのです。勿論アホみたいに『アナタの会社は私に何を教育してくれますか?』とふざけたことを言いたい訳ではありませんし、『もう俺くらいの年齢だったらまさかヒラで雇おうとしてないか?』と思っている訳でもありません(決して)。

しかしながら自分の会社がどのような方向に向かっているかを説明でき、それで○○の業務に対して力が不足しているからやってくれないか?と言ってくれるようでしたら誰だって真剣に考えるでしょう?若い時には「採用される」意図というのはどうでも良かったのですが、今は会社に対してどのような形で貢献できるのかを考えるのです、そう、職種が変わってもです。これは企業がどんな人を求めているかを(常々)明確にして、出会う人に真剣に向き合うことで[本当に必要な人材]を確保することが出来る最低保証かもしれないと思っています。目的もなく採用したって、人手不足だから数を集めたって、そこに組織は完成しないハズです。組織でなければ動物園と一緒です。動物園に遊びに行く仲間が集まった時に言いますよね?『邦夫くんも来る?』『んー』『来たければ来ればいいよ』って。ごめん、これ全然違ったわ。動物園、喜んで(?)行くし。
明日また船に乗って帰省します。
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安心とは。

心が穏やかなのは“安心”を得ているからと解釈すれば、自分にとって“安心”の材料とは何かをその時に考えることが出来る。“安心”を得る為に生きるということが人間の目的として間違いでなければ、“安心”を提供できているかということも重要ではないかと思ったりする。つまり、“不安”を提供したりしてはいないかということ。そうであれば“不安”を取り除いてあげようとする努力をしているかということも考える必要がありそうな。宗教ではありませんが。

転職の話しをすれば知っている人が読めば『その歳でやめとけばいいのに』なんてセリフが聞こえてきそうです。このようなネタを嬉しがって話す人を約1名知っていたりしますので。もっともこのHNはご存知の通りブログを始めてから作ったものですし、知人では信用できる人しか教えてなかったりします。実際はいくつか内定を貰ってますし、『来るなら来い』とオファーも有難いことに頂いています。ただ『え?面談もしなくて不採用って意外』などと思って書いただけです。勿論、出来るならやってみたい仕事として最近新大阪にやってきた世界規模の企業がありますよね、そういった企業を狙うとすればそういったことはあり得ると思いますが。あくまで今回は九州発の企業をターゲットにしています。この目的や意味はいずれ書くことになると思います・・。

自分は働いてるから就職に困っている人を見るとなんだか嬉しくなる。あいつアホだと言えるのが楽しい等。このレベルの“安心”と正反対の目的を持つ“安心”。様々な“安心”を考えてみるときっと自分がどう考えて行動しているかが見えてくると思う。「こいつと話すと俺までイジメられるな」「ここで意見を言うと出世に響くな」「俺から挨拶すると俺が弱いみたいだな」そんな程度の低い“安心”を考えているヤツ、実は結構いたりするんじゃないかな。
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ゲームのこと。

TVゲームなどのゲームのことですが、続編モノ(シナリオが続いてないモノも含めて)ってあるじゃないですか。~2とかってヤツです。あれって1作目が売れたから、そのタイトルで出せば売れるというメーカーの狙いがありますよね。でもゲームユーザの期待に答えなきゃってことで、前作を超えなきゃならない使命もあるハズです。目指すは前作の3倍のボリュームが必要なこと。これをクリアしていなければゲームユーザは納得しないといわれています。誰もが知ってるドラゴンクエストを想えば・・・最初はマップがどんどん大きくなっていくことに感動を覚えました。そのうちシナリオやゲームシステムのボリュームアップ・・・3倍論を適用しても良いでしょう。こうなってしまえば例え1回失敗しても次に挽回すれば良く、シリーズ化は続いていきます。でも大変ですね。今の時代、口コミによって評価はアッという間に広まるし、その評価によっては売れるものも売れなくなるし、買おうと思ってた人も買わなくなります。それにゲーム評論家と呼ばれる人たちは既に一般人並の分析力しか持ち合わせていません。むしろ一般人がその水準に達しているんでしょう。

昔、ゲーム会社(コ○ミ)に勤めていた方と話していた時に『面白さ』について考えたことがありました。それまで考えたことがなかったかもしれません。『面白さ』というのは画像が綺麗なことと直結していないんですね。これはこの友人が言ったからではなく、話していて自分でそう思いました。「画像が綺麗じゃないとやる気になれない。画像を見る為にやっている」という方は多いと思います。ゲーム会社は一定の水準以上の画像は"商品"として必要ですが、その見せ場の為にゲームをするということは本来の『面白さ』から外れているのは理解できるでしょう。イマドキの流れかもしれませんが、本質は画像が無くなった時に本当の評価が出来るハズです。あくまでも能動的といえるものがゲームで、「画像を見る為にやる」というのが目的であれば受動的と大差はないでしょう。受動的で良ければ自分ならゲームをやる何十時間に相当の映画(もしくは本)を観た方がマシと思います。これが前提で能動+同時受動が実現出来るデュアルスクリーンのニンテンドーDS、完全に能動型なニンテンドーWiiはニンテンドーならでは挑戦だったのが分かりますし、これで『面白い』という本質が何かを提示していると思います。結果的に成功した見方をしていますが自分としては当然過ぎる結果だと思っています。FF(ファイナルファンタジー)でも7までは許せるが、それ以降9だけはとりあえず良かったという人が多いようにゲームをやり終えた時に『面白かった』かどうかはゲームとして重要です。「画像見たさ」なのに評価は面白さになっている。企業はユーザが求めてると勘違いして「綺麗さ」に努力している。それに勘違いしたPS3は未だに売れる度に赤字になるゲーム機を売っている。PS3が出回った時に超美麗画像+面白さで新しい時代のゲームが出てくることを期待してみる。当然3倍論を適用した売れ筋ゲームがまず出るだろうが、面白さも維持して欲しいと思う。
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つじつま合わせ。

ちょっと昨日から感情的になっていて抑えられたらブログ書こう~と思っていたら抑えられそうにないので昨日は書けませんでした(笑)。簡単に言ってしまえば会社のことなんだけどね。自分は性格上、"どうなりたい"かが決まっていないものはどうしても真剣になれなくて、でも"どうなりたい"ものの為なら"実績"なんてものはクソくらえだと思ってしまうタチなんです。
『実績って過程のことだよね、目的の為に過程はどうでも良くて結果があればいいってことか?』と考えるかもしれませんが、極論を言えばそうです。ですが誤解しないように言えば、"どうなりたい"かが分かっているのであれば、その目的に向かうアプローチは1つではありません。自分はその最短距離を進もうとするけど、遠回りが結果的な最短距離だってあるハズです。試験に合格する為には巧妙なカンニング方法を身につけるより勉強をし続けた方が良いのと同等です。自分は『これを続けていればいつか一人前になるだろう』という考え方がすごくハダに合いません。『一人前に向かっている』ことがあやふやな状態が許せないとも思ってしまいます。"実績を積み続けることが一人前に向かっている"とも言うでしょう。

10年後、『お前はもう一人前だろ?』と言われたら10年経ったから一人前なのか、10年間の実績が一人前となるのか・・・自分は"どちらでもない"と思っています。あこがれでもなく理想でもなく思い浮かべる一人前とは、"必要なことを経験している"と考えます。これは実績とは違います。実績は必ずしも知識とイコールではありません。"やらせた"では"やらせていた"側の実績であることを勘違いしてはいけません。そういった考えの人は10年後必ず言います。「あなたがやらなかったから悪いんでしょう?」と。自分のことを甘いと思う人もいるでしょうが、これは"育てるべき方法"の論議です。ポイ捨ての価値観を自分はあくまでも否定します。
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汽水田 邦夫(Kisuida Kunio)

Author:汽水田 邦夫(Kisuida Kunio)
ブログ開設日 2007/11/11(日)

脳内整理中社会人
難しい事を簡単に言おうとするが、
簡単な事を難しく言ったりもする。
読者対象成人以上。

【A→Zとは】
文章に詳細な説明を含まずに結果を出していること。結果が先で、その内容について徐々に説明されること。

おにくだいすききすいだくにお

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